勤務地は大阪であった。
築30年位のボロい6階建てのビルの4階と6階を借りていた。
意外と被害は少なく、本が落ちていた程度であった。
土木関係の会社であった事から、様々な問い合わせの電話が掛かってきた。
特に断層に関する質問が多い。
役所からは、「断層のわかる図面を今すぐ持ってこい」だのと無理な注文もある。
地震に関係なかった地域の役所からは、「地震で忙しくなる前に、今の仕事を早くしろ!」と、人道的に問題のある電話まで入る始末。
被災した社員への物資輸送および被害状況の調査をするということで、若手社員4人が選定され被災地入りすることとなった。
地震直後は「西宮北口」まで電車で行く事が出来た。
淀川の鉄橋を越えると、所々に被害が目視できるようになった。
駅に着くと、言葉では言い表せない状態であった。
駅舎の裏の商店街は完全に倒壊し、一般家屋も道路に覆い被さるように倒れかかっている。
断層が走っていたと思われる箇所は、舗装道に亀裂が入り車両の走行を拒んでいた。
河川に架かる橋も被害を受けている。
駅は人でごった返している。
大きな荷物を背負い、地図を確認している。
恐らく、親戚の家へ行くのであろう。
被害の状況を写真撮影するように上司から言われていたが、この状況を撮影できる強者は居なかった。
リュックからカメラを出す事さえできず、1枚の写真も撮ることなく帰社し、上司にこっぴどく怒られたのを覚えています。
私が現地入りしたのは地震発生の翌日ですが、まだ、倒壊した建物では被害者の捜索を行っていたような状態でした。
現地入りで一番びっくりしたのは、ビデオカメラ片手に撮影をしている人が多かった事です。
同じ電車に乗っていた事から、被災者とは考えられません。
自分でナレーションを入れ、「うわ~、すごい事になってます!」
などと騒いでいた。
荷物も少なく、あきらかに撮影が目的のようでした。
また、大阪ナンバーの車が、駅前で「○○方面」などといった看板を掲げ、一見ボランティアかと思いきや、人が近づいてきたら「1万円!」などと値段を言っていた。
悪者ばかりと思いきや、パンを無料で配るパン屋さんや、花を無料で配る花屋さんもいたりと様々な人が、それこそ、ごったがえすように駅周辺に集まっていました。
ラベル:災害体験

